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問い合わせフォームはこちら天保年間に荒廃した青木村を再建した二宮尊徳の偉業を讃えて、明治31年にゆかりの地に村民たちが建立した碑です。
青木堰は、戦国の昔から桜川の上流青木地内にかかる堰(せき)です。この堰のお陰で水田には水が貯えられ、青木村(現桜川市青木)は良質の米を産出する恵まれた土地でした。
しかし川が急流であったことから、堰は増水のたびに流され、改修に多大な費用がかかっていました。青木村は江戸の初期から幕府領でしたので、地元の負担は大きくありませんでしたが、1708(宝永5)年に旗本 川副新右衛門頼賢(かわぞいしんうえもんよりたか)の知行地となり、幕府の支援が受けられなくなると堰は壊れたまま放置されるようになりました。その結果、水不足が慢性化し、米の収穫量が激減してしまったのです。農家も離散や移住を強いられ、元禄年間に130戸あった家が39戸まで減少してしまいました。
この村の危機をすくったのが、小田原(神奈川県)出身の農政家 二宮尊徳(金次郎)です。当時、知行地4千石の復興事業に成功した二宮尊徳の名は、近隣諸国に知れ渡っていました。その評判を知った名主館野勘右衛門以下37人は、1831年、尊徳のもとに赴き、青木村の復興を助けてくれるよう直談判したのです。その熱意に打たれた尊徳が、青木堰の再建に着手したのは1833(天保4)年のことでした。
尊徳は自ら設計図を引き、桜町陣屋から連れてきた大勢の作業員や村人らを督励(とくれい)し、当時、工期50日、工費100両余掛かるとされた難工事を10数日、約60両で完成させ、世間を驚かせました。この目覚ましい成果は、尊徳流の仕法(復興計画)の有効性を実証するものでした。
作業員達には用意した酒、餅を自由に飲み食いさせ、破格の賃金を支給して士気を高め、作業の能率を上げました。また、建設現場の上流に綱を渡して堰の型枠となる小屋を作り、綱を切り落としたあと、岩石を投げ込んで沈めるという前代未聞の工法を用いたのです。
「青木村仕法」と呼ばれた青木村の復興計画は、荒れた田畑の復元、新田開発、用水路、道路、橋の建設、神社仏閣や民家の屋根のふき替えから農民の借財返済にまでおよびました。農家数は1839(天保10)年には62戸に増え、村人は助け合って農業に励み、豊かな村に変わっていったのです。
所在地 | 桜川市青木 |
アクセス | ○JR水戸線岩瀬駅よりタクシー15分 ○桜川筑西ICより15分 |
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