まつり・イベント
- 更新日:2024年11月8日
かったて祭
五所駒瀧神社の氏子たちが、権現山にある富士浅間神社に神火を奉献し、五穀豊穣を祈願するお祭りです。山の中腹を目指して登る松明の列は真壁に夏の終わりを告げる風物詩です。毎年花火があがり、山のふもとから眺めることができます。どなたでも参加できます。
◆由来について◆
「かったて祭」は真壁の鎮守様である五所駒瀧神社の神事として山尾地区の氏子が主体となり古くから行われてきた。
8月31日の夕刻、氏子や崇敬者たちがそれぞれ手作りの松明(たいまつ)を持って参拝し、火切りで起こした神火を神前に奉納し、その神火を松明に移して権現山(真壁富士)に鎮座する富士浅間神社に奉納して家内安全・商売繁盛・五穀豊穣等を祈願する祭りである。中腹の神社に集まった人たちの松明は一ヶ所に積み上げられ、一気に燃やされる。このときの火勢は、遠く野州、上州、武蔵の国からも望見されたといわれる。この神事がいつ頃から始められたかははっきり伝えるものがないがとにかく古い時代からの神事であることは確かである。
◆起源について◆
神社に伝承される口碑によれば、それは極めて古いもので坂東の英雄として名を残した平将門と、その伯父である平良兼が戦った承平の乱での羽鳥・弓袋(湯袋)の戦いであるともいわれる。平良兼は真壁町羽鳥の竜ヶ井城に住んでいた。将門の妻は良兼の娘であるからいとこ同士、良兼は義父にもなる。領地争いが頻繁に起こった承平七年(937年)の秋遅く将門は竜ヶ井城を攻めた。良兼は弓袋の山中に逃げ込んだ。将門は松明を持って山刈りをし、良兼を攻撃したが現れなかったので豊田の館に引き揚げたという。この松明を持っての山刈りが、「かったて祭」の起こりと言われ、近年まで羽鳥地区と山尾地区同日同時刻に行われていたと言う。真壁富士権現と呼ばれる浅間神社は平安時代に祀られたと伝えられ五所駒瀧神社の祭神の中でも最古の神である。
この「かったて祭」も年月を経るにつれて、武運長久を願う時代から農民の五穀豊穣の祈願の祭りとなり、毎年8月31日、二百十日の前夜、町村の人達は総出で秋の豊作と天候の平穏を祈るようになった。江戸時代頃より松明の燃え方でその年の作柄を占う風習があった。これは松明を望見して占うもので行列の前後と中央の燃え方を見て早稲(わせ)中(なかで)晩稲(おくて)の出来を占った。また遠く野州、上州、武蔵あたりではこの火勢を見てその年の繭(まゆ)の出来不出来を占ったともいう。一説には病害虫の防除のために行われたと言われている。
○午後5時半…五所駒瀧神社へ集合
○午後6時…祭事開始
○午後6時半…点火 登山開始 権現山の中腹まで登ります(徒歩:約20分)
○午後7時過ぎ…奉納花火
※子供達も登りますが、険しい登り坂ですので、歩きやすい恰好でお越しください。お帰りは松明がありませんので、足元を照らせるように、懐中電灯をご用意いただいた方がよろしいかと思います。また、虫除けスプレーなどもご用意いただいた方がよろしいかと思います。お気を付けてお越しください。
詳細情報
開催地 | 五所駒瀧神社 桜川市真壁町山尾499 |
アクセス |
○JR水戸線岩瀬駅よりタクシー20分 |
電話番号 |
0296-55-1487
|
五所駒瀧神社 | |
開催日 | 毎年 8月31日(雨天決行) |
駐車場 | 五所駒瀧神社(35台) |
トイレ | 男:8(和3、小5) 女:3(和3) |
地図情報
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